2015年4月12日日曜日

「ノーと言える人になります」

医師で、鹿児島市でホスピスを、そして幼稚園・保育園を経営している堂園晴彦さんが素晴らしいメッセージをくださいました。(堂園メディカルハウス http://www.dozono.co.jp

*****

イタリアの政治哲学者のアントニオ・ネグリが議会制民主主義は終焉に向かっていると、言っています(朝日新聞に載っていました)。
まず、「ノー」と、言おうと。
私は、知事の税金無駄使いに立ち上がり、署名運動をして約4万人、そして、知事リコール運動で約15万人署名を集めました。
ノーと言える人や場が必要です。
わずか30%の投票率で80%を占めている今の国会は異常です。
咲さんが「ノー」と言いたい人の代弁者になることです。
あまり人を責めるのではなく、ノーを届けようですね。ノックとノーは似ていますよ。
ノックは、昨日も今日も明日もドアをたたく人が同じでは生きている意味がないと、寺山修司さんは言っていました。
私は「患者観客論」を唱えました。患者さんは主人公でなく、観客なんだ。
医者は看護師は演じてである。政治家も演じてにすぎないのに、主人公化しているのがおかしい。
有権者が観客化して、政治を客観的に批判することが、今必要では。
「ノーと言える人になります」というニュアンスを、キャッチフレーズをするといいですよ。
皆イエスではなくて、ノーと言いたがっている。
ノーと言える場も人もないため、厭世的になっている。
だから私はノーと言いたい人のためにリコールを運動をしました。
これも市街劇でした。
寺山修司が「寺山修司から高校生へー時速100キロの人生相談」という本の中に、「投書はことばの爆弾である」と、書いています。
私は投書は街への爆弾だと、いつも言っています。リコールもその一環でした。
大衆のノーを届ける、代弁する役目をアピールすると、いいですよ。
そして、マイノリティへの目。
最たるマイノリティが子供です。何故なら選挙権をもたないから。
そのマイノリティへのサポートを訴える。それには仲間がナガヤタワーを現実に作っている。
このような物を世田谷にも作ろうと、訴えるといいのでは。

堂園晴彦

*****

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。